
青年海外協力隊の設立に深く関わった、末次一郎氏について、協力隊の先輩が作ってくださった資料を基にご紹介します。自分の人生で強い影響を受けている多くの団体に関わっておられた同氏のことをもっと知りたいと思い、関連資料を少しずつ集めながら勉強しています。今後も随時更新していきます。
略歴
大正11年(1922年)10月1日、佐賀県生まれ。佐賀県立商業高校を卒業後、豊橋予備士官学校、陸軍中野学校二俣分校を卒業。翌年、敗戦を迎える。当時の多くの若者同様、徹底抗戦を画策するも、断念。山篭りや全国行脚を通して、その後の人生を「戦争犠牲者への支援」と「青年育成」にささげる決意をする。日本健青会や、後述するさまざまな組織の立ち上げ・運営に参画。平成13年(2001年)7月11日に永眠。享年78歳。
活動
末次一郎氏が関わってきた団体・活動はあまりに多く、広範囲にわたる一方で、常に縁の下を支える地道な関わりをされてきています。
戦後処理
海外からの引揚げ促進、戦犯家族への生活支援、沖縄返還運動、北方領土返還運動を推進。財団法人沖縄協会、財団法人沖縄県交流財団、財団法人沖縄平和公園建設協会、沖縄豆記者交歓会、特殊法人北方領土問題対策協会などの要職を兼任。
青少年育成
社団法人青少年育成国民会議、社団法人協力隊を育てる会、社団法人日本青年奉仕協会(JYVA)などの創設にかかわり、設立後も中心的な役割を担う。財団法人日本ユースホステル協会、社団法人全国子ども会連合会、財団法人育青協会、財団法人オリンピック記念世界青少年キャンプ組織委員会、社団法人産業開発青年技術協会、社団法人青少年交友協会、社団法人日本歩け歩け協会などの要職を兼任。青年海外派遣や青年海外協力隊を提言。青年の家、少年自然の家、国立オリンピック記念青少年総合センターなどの創設を提唱。文部省や総理府の審議会委員として参画。
社会福祉
財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター、社団法人日本歩け歩け協会、財団法人スポーツ安全協会、社団法人日本速珠社、財団法人花と緑の農芸財団、財団法人地球環境財団などの要職を兼任。核兵器禁止平和建設国民会議に参画。
国際協力
1950年代から、アジア・中東などへの技術協力、災害支援、農業青年交流、留学生支援などに努める。特定非営利活動法人難民を助ける会の設立発起人の1人。日韓友好条約批准促進国民会議、日韓協力委員会などの要職を兼任。
